広報部長に「保護司のことについて何かを書いてください」と言われ、気楽に返事をしたものの。いざ机に向かうと何も思い浮かばない。「しばらく若い保護司さんが続いて入ってこられます。更生保護に興味を持っておられる方があるようです。」と依頼書に書かれており、さて困ったなというのが正直なところです。
私が保護司の依頼を受けたのは平成1 6 年であったと思います。先代が遷化して(亡くなることを能化の場合は遷化と言います。) 後、その時の会長さんと副会長さんが家に来られて、保護司を受けてほしいといわれました。その時私はまだ、大阪の上宮学園に奉職しており、時間的にも無理で受ける気は全くありませんでした。何度か、来られて依頼されたのを覚えています。副会長の奥様が、寺の総代の妺さんで、母親も妻も「それは断ったらあかんやろう」といいます。
私も良くなかったのですが、気乗りしないままに押し切られたという感じで引き受けました。
それまで保護司活動には、あまり良い印象を持っていませんでした。先代が保護司をしている時に、時々怖い顔をしたお兄ちゃんやらオッちゃんが来て、先代とボソホソ話をしている記憶しかありません。
時々先代か、高校生の様な青年に、大きな声でお説教している様な事もあったと思います。いざ自分が保護司になってみると対象者が約束の時間に来ない。遅刻をするならまだしも。すっぽかして来ないことが多かったように思います。何故、あの時に引き受けたのだろうといつも思っています。
人には向き不向きがあり、私には保護司はなかなか向いているとは思えません。イラチこの上もなく、思ったことをすぐに口に出してしまう悪い癖。対象者が来て、しばらく話をし、対象者が帰った後で「少し言い過きたかな」と思うことがしきりです。例会などで、ほかの保護司先生の話を聞いていると、「これはイカンナア」と反省もし後悔もすることもしきりです。寺の法務とバッティングして例会に行けないことがよくあり、会長先生に電話をしづらくて困ることも多い。
保護司は、何をすれはいいのかと言う自問は今でもある。対象者が、「この人の様にいきられたらいいのに」と、人生の手本のようになることであろうか。私の場合は、「この人のように生きたらだめだなあ」と思われるのが関の山で、今一つ保護司に面と向き合えない自分がいます。
そろそろ定年に近づいてきました。皆さんの迷惑にならないようにしたいと思うのが、関の山ですが。
保護司佐野慶成
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