物心ついた時には祖父と母と私の三人で暮らしていた。一・六㏊の田を殆ど手作業の時代に、働き詰めで育ててくれたが、そんな中で私は、のほほんと成長し、何の不便も違和感もなく、幸せな日々であった。
ある日、母や親戚のおばさん達が泣きながら歩くのが不思議で、いくら訳を聞いても誰も答えてくれず、うなずくばかりだった。その一場面だけが鮮明に残っている。
それが私の記憶にない父と父の弟の葬儀だったのかと気付いたのは、かなり成長してからだった。祖父の息子二人の戦死の公報が届いたのは、戦後三年も経ってからだったと・・。
祖父にとっての孫は私一人だけ、
そんな私を伴侶にと選んでくれた人は、「家を出て東京へ来い」とは言えなかったそうで、生涯私は田や畑の草と格闘することになった。
『踏まれても踏まれても、立ち上がる雑草のように逞しく』等と言いながら、人生の指針にしたり、反面いくら引っこ抜いても追いつかない草に手を焼く人生だったが、何年か前に、農学博士の稲垣栄洋氏のエッセイを目にして、雑草と言われる草を見る目が変わった。
雑草は踏まれたら、立ち上がらない。そんな無駄なことはしない。踏まれたら諦めて横に伸びたり、根っこを生やしたりして、置かれた場所に不満を持たず、自らを自由に変え、不利な環境を利用して花を咲かせ、種を残すために精一杯生きている。
人も又、どんな場所であろうと、逆境をも利用し、自分の人生を生き抜く、そうした『雑草的な生き方』をするためには、周囲に振り回されないことが大事。いつも上を見て、空の太陽だけを見上げると力が湧いてくる。と記されていた。
田畑の草を抜く作業はしないわけにもいかないが、とても愛おしく思えるようになり、どんな草にも話しかけながら除草するこの頃です。
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